こんばんは、ただいま「saudade」という展示をしております、鎌田です。
今回の展示のタイトルである「saudade」が日本では馴染みの薄い言葉でもありますので、言葉の紹介と共に展示の意図なども少しお話しできればと思います。
まず「saudade」とは日本語で「郷愁」などと訳されるポルトガル語ですが、実際にはそう一言では言い表せない複雑な意味合いを持つ言葉、そして翻訳することなど出来ないとブラジル人も言う言葉のようです。
この言葉との出会いは若い頃、横浜の酒場で仲良くなったブラジル人と明らかな国民性の違いを赤ワインで埋めながら、互いに相容れない昔の甘酸っぱい思い出を語り合う中で、そのブラジル人が「サウダージだよ、こう、胸がきゅーっとなる気持ちだよ!」と表現するのを「そんなんじゃ、わかんねーよw」などと返しながらも、なんとなく昔の懐かしさと胸を締め付けるような感覚が共存するその雰囲気に共感し、どこか強く記憶に残っていました。
そのようにして出会った「saudade」の意味合いについて、私がもっとも腑に落ちた表現をしたのは社会人類学者でもあるクロード・レヴィ=ストロースが、自らの「saudade」を説明した次の表現です。
“ある特定の場所を回想したり再訪したりしたときに、この世に永続的なものなどなにひとつなく、頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられるような心の痛み” by Claude Lévi-Strauss
私が感じる「saudade」とは、そうしたグラグラとした拠り所の無さ、不安にも似た心の動き、胸を締めつけられるような感覚といった、レビィ=ストロースが言うようなものに加えて、物理的、あるいは時間的、心理的に大きな距離の隔たりがあることを、またはそうした距離が少しずつ開いていく様を、仄かに突きつけられ、自覚したときの感情と言えるかもしれません。そして、あのブラジル人が話していた昔話の中の「saudade」もそうだったように思います。
以前までの反射神経で撮っていたモノクロ写真から、カラー写真を撮るという変化の中で、意識することが少なかった写真の色合いに何か自分の感情を重ねてみようと思い、自分に撮ることが出来ると確信にも近い形で思い浮かんだ感情が「saudade」でした。
そうしたこともあり、自分自身の変化を表現するカラー写真のテーマとして、今回の個展では「saudade」というタイトルをつけさせて頂きました。そして、感情をテーマにしたこともあり、自分がその時に感じた「saudade」が少しでも伝わるよう、その場、その瞬間に立ち会った感覚が残るような工夫をした写真を展示しています。
写真とその展示という行為は寄せ集めたものから構造を紡ぎ出すという点で、奇しくもレヴィ=ストロースの「野生の思考」の文脈におけるブリコラージュそのものであり、可逆的な形で「saudade」という感情が観た人に伝われば幸いですし、そうなれば試みとしては成功と言えるかもしれません。
RED Photo Gallery メンバー 鎌田篤慎